2020年4月13日月曜日

tomy4509さんからコメントがありました。「神様の代身者は、……」のブログ記事です。私の考えでを書きます。

 tomy4509さんから411 にコメントがありました。
神様の代身者は、誰でしょうか?最初に神様の代身者に成ったのは誰ですか?
のブログ記事です。

『天使長ルーシェルを神様の代身者に立てた、は初耳です。 デタラメです。 
原理講論、統一思想のどこにもそのような記述を発見することができません。 
天使長は「僕」として創造されたとしかありません。  もしも、神様の代身として天使長を立てられたというのであれば、どこに書かれているか提示してください。』
コメントありがとうございます。
わたしのブログを読んでくださり感謝します。

私のブログの目的は、いろいろありますが、私達自身の意識を変える。
その事により、意識革命、意識改革に繋がる事を願っています。
また、このブログを読んで、統一原理、統一思想に関心を持ってもらい、原理の学習や学びに役立つ事を願っています。

今までの、統一原理とは「違う考え方、表現方法」はないか?
その事を考え、自分の中で感じた世界をブログで、表現しています。
(統一原理・統一思想と真の父母様のみ言を中心に考えています。)

コメントに『天使長は「僕」として創造されたとしかありません。  もしも、神様の代身として天使長を立てられたというのであれば、どこに書かれているか提示してください。』
とありましたので、私の考えを書きます。

天使長ルーシェルは『神様の代身者の立場に、立った』期間などありました。アダムとエバの完成(間接主管の完成)の時まで
それは、神様が、立てたのではなく、天使長ルーシェルが、自ら、「神様の代身の立場に立った」と考えます。

 アダムとエバの堕落により、堕落論には、『サタンを中心とする四位基台がつくられると同時に、人間はサタンの子女となってしまった』
『ヨハネ福音書一二章31節には、サタンを「この世の君」と言い、またコリント・四章4節においては、サタンを「この世の神」と言ったのである。このようにして、サタンは、被造世界の主管主として創造された人間を逆に主管するようになったので、彼は被造世界全体をも主管するようになったのである』
『アダムとエバが完成し、神を中心とする四位基台をつくったならば、そのとき、神の主権の世界は成就されるはずであった。しかし、彼らが未完成期において堕落し、サタンを中心とする四位基台をつくったので、この世界はサタン主権の世界となってしまったのである。』と書いてあります。

サタンが、「この世の神」と言われているのは、天使長ルーシェルが、神様の代身者の立場に立ったと考えます。
神様は、天使長ルーシェルを神様の代身者の立場を認めていません。
神様の立場では、創造原理以外、人間の堕落後の全ての内容を認めていません。

人間の立場から見れば、天使長ルーシェルが神様(神様の代身者)の立場に立ったと考えられます。

 本来、この立場に立つ予定が、「アダムとエバ(第二祝福完成の時)」でしたが、堕落してしまい、「偽りの父母」となってしまった。
復帰摂理をとうして、「偽りの父母」の立場を「真の父母様」が、蕩減復帰して、「この世の神」の立場も完全に蕩減復帰して、勝利しました。

 この考え方は、「原理の物差し」を使い、考え感じた世界です。
神様は、二数完成の神様でも有る。
神様は、二数と三数完成の神様
天宙は、三数と四数完成、(四位基台完成が基本形)
数字などを使った説明など出来る時期が、来る事を祈ります。
個人的な意見、考え方です。

ブログ内容は、福母塾、福母家庭教会の考え方です。
統一原理・統一思想の勉強、学習、学ぶ時の参考になれば、嬉しいです。

今までの、私のブログ投稿内容を全て、「信じて下さい」と言うより、「あなたが、そうだな!」など思う内容などが有れば嬉しいです。
(「違う」と考える事も大切だと思います。)
この内容を書きながら、私自身の再確認、学び、きずきもありました。
感謝します。

「自分を変えるのは、自分」
「他人を変える事は出来ない」と思ってます。
でも、「他人に何か影響を与えたり」「他人から影響を受けたりする」事はあると思います。
良い影響、良い意識を共感・共鳴、共有できる事を願っています。

統一原理、統一思想をなぜ学ぶのか?
あなたは「なぜ?」だと思いますか?

私が感じた事は、「天の父母様である神様、神様の心情、事情などを知るため。」
「真の父母様のみ言を、深く理解するため。」
「人生の問題、人間関係・人類、社会問題や世界、宇宙など全ての問題解決のため。」

統一原理の学習や学びは、家庭連合、又は、公式YouTubeなどで、より深く学び理解できる事を願います。

このブログを読んだ方に、神様の祝福がありますように!
神様に感謝します。(神様ありがとうございます。)
様々な、気づきや学びがある事を願います。

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「神様の真の愛を相続しよう!」

最高です。神様、感謝します。
「天運到来!」

あなたの意識で変わります。
全てを「チャンス!」と考え、
全てに「感謝」の心で、
全てが「ハッピー」に変わります。



神様の導きがある事を願い祈ります。

時間のある方は、こちらも読んでください。
堕落論の一部より
『神の愛がなければ、人間創造の目的である四位基台が成就されないために、愛は人間の幸福と命の源泉なのである。神は原理によって創造された人間を、愛によって主管しなければならないので、その愛が愛らしく存在するためには、愛の力は、あくまでも、原理の力以上に強いものでなければならない。もし、愛の力が原理の力よりも弱いものであるとすれば、神は原理で創造された人間を、愛をもって主管できず、したがって、人間は神の愛よりも原理をより一層追求するようになるであろう。』
『未完成期にいた人間に、このような戒めを与えられたのは、単純に、彼らが堕落しないようにするためだけではなかった。更にいま一つ、人間が、自分自身の責任分担として、そのみ言を信じ、自らの力で完成することによって神の創造性に似るようになり、併せて万物に対する主管性をも得るようにさせたいからでもあったのである(前編第一章第五節(二)(2))。』
『愛を中心として見るとき、神の第二祝福完成は、アダムとエバが、神の愛を中心として夫婦となり、その子女が生み殖えることによって(創一・28)、神の愛による直接的な主管を受けることをいうのである。それゆえに、人間が完成すれば、「食う」のは原理的なものとして、当然許されるように創造されていたのであった。
  愛の力は原理の力よりも強いので、アダムとエバが完成し、神を中心として夫婦となることにより、その絶対的な愛の力によって、神の直接的な主管を受けるようになれば、いかなるものも、またいかなる力もこの絶対的な夫婦の愛を断ちきることができないから、彼らは決して堕落するはずはなかった。』
『ルーシェルと人間始祖が血縁関係を結び、一体となったので、サタンを中心とする四位基台がつくられると同時に、人間はサタンの子女となってしまったのである。ヨハネ福音書八章44節を見ると、イエスは、ユダヤ人たちを「悪魔から出てきた者」と言い、またマタイ福音書一二章34節、同じくマタイ福音書二三章33節においては、彼らを「へびよ、まむしの子らよ」と言われたのである(マタイ三・7)。さらにロマ書八章23節では「御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること」を待つと記されているのであるが、これは、人間始祖の堕落によって、その子孫が、一人残らず、神の血統を受け継ぐことができず、サタンの血統を受け継いでしまったからである。アダムとエバが完成し、神を中心とする四位基台をつくったならば、そのとき、神の主権の世界は成就されるはずであった。しかし、彼らが未完成期において堕落し、サタンを中心とする四位基台をつくったので、この世界はサタン主権の世界となってしまったのである。それゆえ、ヨハネ福音書一二章31節には、サタンを「この世の君」と言い、またコリント・四章4節においては、サタンを「この世の神」と言ったのである。このようにして、サタンは、被造世界の主管主として創造された人間を逆に主管するようになったので、彼は被造世界全体をも主管するようになったのである。』

『地上天国を復帰するということは(前編第三章第二節参照)、全人類がサタンとの相対基準を完全に断ちきり、神との相対基準を復帰して、授受作用をすることにより、サタンが全く活動することのできない、そのような世界をつくることをいうのである。』
『神は天使と人間とを創造されるとき、彼らに自由を与えられたので、これを復帰するときにも、神は彼らに強制することはできない。
それゆえに人間は、あくまでも自分の自由意志による責任分担としてみ言を探しだし、サタンを自然屈伏させてこそ、創造本然の人間に復帰することができるのである。神はこのような原則によって摂理されるので、復帰摂理歴史は、このように長い年月にわたって、延長に延長を重ねてきたのである。 
『神を中心として四位基台を造成したなら、彼らは善の世界をつくることができたはずである。しかし、彼らはこの目的に反する愛をもって、サタンを中心とする四位基台を造成したので、悪の世界をつくってしまったのである。それゆえに、善と悪とは、同一の意味をもつものが、相反した目的を指向して現れたその結果を指していう言葉なのである。』
『我々が、往々にして罪であると考えるところの欲望なるものは、元来、神より賦与された創造本性である。
なぜなら、創造目的は喜びにあるのであり、喜びは欲望を満たすときに感ずるものだからである。したがって、もし人間に欲望がないとすれば、そこには同時に喜びもあり得ないということになるのである。そうして欲望がないとすれば、神の愛を受けようとする欲望も、生きようとする欲望も、善を行おうとする欲望も、発展しようとする欲望もないということであるから、神の創造目的も、復帰摂理も、達成することができず、人間社会の維持とその発展もあり得ないのである。…… 
 復帰摂理は、サタンの目的を指向しているこの堕落世界を、神の創造目的を成就する地上天国へと、その方向性を変えていく摂理であるとも、見ることができるのである。』
『復帰摂理の時代的恩恵により、神霊(内的な知)と真理(外的な知)とが明らかになるにつれて、創造目的を指向する本心の自由を求める心情が、復帰されてくるようになり、それによって、神に対する心情も漸次復帰され、そのみ旨に従って生きようとする意志も高まるのである。
…… 。その時代の環境が、自由を求めるその時代の人間たちの欲望を満足させることができないときは、必然的に社会革命が起こるようになるのである。十八世紀に起こったフランス革命は、その代表的な例であるが、このような革命は、結局、創造本然の自由が完全に復帰されるときまでは、継続せざるを得ないのである。 
【原理講論・堕落論の一部より】
ありがとうございます。

神様の導きがありますように祈り!




2 件のコメント:

  1. 『天使長ルーシェルを神様の代身者に立てた」は、やはり、あなた自身の考えであり原理講論・統一思想からではないことが分かりました。

    天使世界は「代身者」ではなく、アダム・エバが完成するまでの被造世界の管理を任された存在でした。間接主管圏における「原理」を中心として

    僕の立場で「管理者」でしかありませんでした。

    イエス様も譬えで「僕、息子、主人」とそのような話を語られていたでしょう。

    「福母塾、福母家庭教会の考え方」であると明記されるにおいては自由ですが、『原理講論』『統一思想』を引き合いにに出されながらのみ言の歪曲解釈等は慎まれるべきです。

    以下についてもまた、「原理講論」のどこにその記述があるか教えてください。

    >神様は、二数完成の神様でも有る。

    二数は、アベルほか次子、興進様まで犠牲の道を行かざる得なかったように「蕩減がかかった数字」ではないですか。神様はそこにはタッチされないと思います。

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  2. tomy4509さん、コメントありがとうございます。
    「神様は、二数完成の神様でも有る。」ですが、これも、私の考えです。
    二数は、蕩減の意味も有ったる数字です。
    今は、違う事を言いたいです。
    なぜなら、真のお母様の勝利により、二数完成、二数勝利したためです。
    数字に関しては、少し自分の中で、まとめて、いずれ、ブログで、紹介したいと思います。

    ブログは、統一原理、統一思想を、深く正しく理解する事を願い書いています。
    自分自身の成長も、意識していきます。
    神様と共にある事を祈ります。
    感謝します。

    よろしくお願いします。

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